東日本大震災関連

東北3県小児診療支援医募集

理事長からのご案内

東日本大震災から丸5年、大震災小児医療復興新生事務局設立から丸3年を過ぎた。この事務局( http://www.hosokunagaku.jp/ )は、本学会からの融資と本学会災害医療委員会委員長の齊藤修先生の尽力で設立された。いわゆる東北3県(昨年度から4県に拡大)の小児医療支援において、支援医師の皆さまのご希望とその時間を効率よく派遣仲介をすることを中心に、小児医療支援体制の礎石が固められ、今日に至っている。その実績として、設立以来、延べ1,119日、485件(2015年9月30日現在)の支援調整を行ったことが報告されています。

委員会報告書には、「耳鼻科の先生が当直でしたが、COPDによる呼吸窮迫・腎不全を併発する大腿骨頸部骨折に対応されていました。(中略)地域を守るのは自分の病院しかない現状で「専門外です」などと甘いことは言っていられない地域医療の厳しさと、対応する医師の力強さを感じました」とのコメントを昨年12月に福島県立南会津病院の支援医から頂いたとある。まさに、小児救急に身を投じる限り、総合小児救急医であるべきとの私の想いがあるが、それを目指すに背を押された気がします。

支援に行って、逆に勇気づけられ、こちらが元気を貰ったとの感想が良く聞かれますが、まさに事実なのでしょう。是非とも多くの本学会員が彼の地を訪れ、支援を1日でも、1時間でも、して貰えたらと心から願っています。同時に、この復興新生事務局の活動が「ほそくながく」でも良いので、その理念を脈々と継続して行かれることを心から願っています。

2016年3月11日 記
一般社団法人 日本小児科救急医学会理事長
北九州市立八幡病院小児救急センター
市川光太郎

ご参考までなのですが、
下記の様な連絡も災害医療委員会に入っております。

『5年目の節目のコメント』

震災から5年がたった石巻市は人口減少が顕著です。震災での死亡者数は約3500人 行方不明は約400人です。石巻市の人口は震災前の約16万人から約1万4千人減少し、昨年の国勢調査では147236人となりました。石巻医療圏は約20万人であり、三陸自動車道の整備により近隣医療圏から流入が増加しています。特に小児医療は近隣医療圏では整備が遅れており、石巻夜間急患センターでの診療は重要性が高まっています。現状では石巻市の小児科医は開業医が半減しましたが、新規開業はありません。医師不足が顕著ですが、ご支援のお陰で地域住民への医療サービス提供は継続できております。子育て世代が田舎で暮らすための大きな安心は小児医療です。これができていることは、私たちの誇りです。

今年の12月から新しい石巻市夜間急患センターでの診療が始まります。これまで行って来た在宅での当番医の診療は医師不足、看護師不足があり不安定になり、難しくなりました。 私と石巻市担当者、東北大学小児科呉教授で意見交換を行った際に、どうすれば可能になるかを考えました。

石巻赤十字病院敷地内へ移転ができれば、石巻赤十字病院小児科との柔軟な医師の交流で、開業医が高齢化して引退、病気の場合にも切れ目なく、診療の継続が可能になるのではないかと私は夢を見ました。地域の開業医と東北大学小児科の効率的な拠点病院への医師配置により、可能になりそうです。今後ともご支援の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。

宮城県小児科医会理事
(阿部こどもクリニック)
阿部 淳一郎

『ご丁寧なメールおよび資料をありがとうございます。』

当院小児科の実情を報告させていただきます。

当院は過疎地域の基幹病院です。地域には、開業小児科医2件,内科開業院で小児科を診てくれるところ(年齢制限を設けているところあり)数軒,及び病院小児科1軒があります。 従って、平日昼間は小児医療は成り立っております。しかし夜間と土日祝日は、当院以外小児科を受け入れるところはありません。 急病診療所はPM6:00~9:00まで開所していますが、受診者は少なく、結局こちらに回ってきます。胆沢病院はすべて受け入れており、救急搬送も24時間対応しております。

救急のプライマリは、1・2年目の研修医(全科ローテート中)が診てくれます。手に負えないと、彼らから直接、または上級医と相談の上で、私にコールがあります。大半は入院が必要で、一人常勤では対応が困難な児は、転送になります。救急車に同乗していきますが、岩手県は広く、隣の一関や北上でも、高速で1時間近くかかります。盛岡ですと1時間半を超える場合もあります。

私は、S51年卒の小児科医で、現在62歳です。本年3月まで、大阪の病院で勤務しておりましたが、震災後東北に支援に来たいと思い始めました。勤務先の事情で、短期支援は不可能であり、退職してこちらに就職しました。沿岸部での勤務を希望しておりましたが、医療局との話し合いで、胆沢病院に就職しました。大阪の病院でも、一人常勤であり救急指定も取っておりましたが、地域差が非常に大きく驚きました。

ここは、何でも来るところで、今から思えば、大阪の病院はぬるま湯のようなところだったと思っています。年齢的なこともあり、365日24時間オンコールは、正直厳しいです。これまで半年間に3回、支援の先生が来ていただいて数日間解放されました。できれば、1か月か2か月に1回、数日間の支援がいただければ、長く勤務ができるだろうと思いますが、無理でしょうか?